とらとらでひとりいぐも

TigerBalm's diary   ぼぉっと生きてる第2種兼業主婦の独り言

子ども達の悲劇

津波で亡くなった方々は本当にお気の毒だが、生き残った人もまた、大変な辛い思いをされることだろう。
両親と弟を目の前でさらわれた男の子の胸中を思うと、胸のつぶれる思いがする。私だったら一緒に死にたかったって思ってまう。
「お父さん達の分までがんばって」なんてとても言えないよね。。。
どうか、周りの温かいサポートで時間をかけて立ち直って欲しいな、と思うしかないです。


また現地で家や仕事を失った人達。あまりの被災者の多さ、国情など考えると、人々が落ち着いた暮らしを取り戻せるのはいつなんだろう・・・って。
そんな中、被災した子どもが売買の対象にされる恐れが出ているらしい。ああ、なんてことだろう、せっかく助かった命なのに、それが現実なん?そんなの酷すぎるよ。
だから、ほんとに少しだけど、募金はユニセフにしました。


先日の奈良の誘拐殺人にしても、何故子どもの命を奪えるんだろう?
最近の性犯罪は、弱いものを襲うか、集団でやるか、そんなのばかり。最低最悪やん。
今回捕まった犯人の言葉として「本当は大人の女性がいいけど、お金がかかるから(子どもを狙う)」って。ほんまに腹立たしい。
こんなの人間でも、獣でも、ないよ。
子どもに手をかけるとき、なんの躊躇もないのだろうか?目を見ないのだろうか?


もし自分の子どもが被害に会ったら、犯人を絞め殺したい、絞め殺しても足りないだろう。だけど、犯人の子どもを殺したいかというと、それは違う。同じ思いを味わわせてやりたいと思うかもしれないけど、子どもの目をみたらとてもそんなことはできないと思う。


どうしてそんなことができるのか、憎いという以前に理解できない。
命の大切さなんて教えてもらわなくてもわかってる筈なのに、教えてもらわないといけなくなっちゃったんだろうか。でもどうやって教えるんだろう。


犯罪の抑止力というのは、これまで、家族、コミュニティだったんじゃないだろうか?
こんなことをしたら、自分の親が、きょうだいが、ここに居られなくなる、っていう思いが、衝動を止めてきたんじゃないかと思う。誰だって子どもの頃や思春期に「死にたい」とか「あいつを殺してやりたい」くらいは思うんじゃないか?でもそれをしないのは、自分はどうなってもいいとしても、家族や自分を大切にしてくれた周りの人々へのしがらみが捨てきれないからじゃないかなぁ?「それはしてはいけないことだから」という倫理観よりそっちの方が抑止力としては大きいように思う。
それがどんどんなくなってきて、わけのわからない犯罪が増えている、と私は勝手に考えています。
だから子ども達には、甘やかしではない愛情を注いで、いっぱいしがらみつけてやりたい、と私は思っているのだけれど・・・自分なんかにちゃんと育てられるのだろうか、そして守ってやれるのかどうか、とてもとても不安です。


なんだったか、江戸時代くらいの日本を外国人が見た本で、「この国では本当に子どもが大切にされている。」という記述があった。親にもコミュニティにも大事にされていて、非常に微笑ましい、と。そして教育環境も良いというようなことだったような記憶がある。


子どもを大切にしない社会は、だめやと思う。