とらとらでひとりいぐも

TigerBalm's diary   ぼぉっと生きてる第2種兼業主婦の独り言

同感

 大ちゃんの今期のプロについて、首ぶんぶん縦にふって頷きたくなる記事。
以下 http://toramomo.exblog.jp/20212425/ より

ものすごく語弊があることを覚悟で非常に極端な表現で言うと、今季彼が滑った3つのプログラムは、彼以外の選手が滑っても「もの」にできる作品だったと思う。彼と競っているような世界トップレベルの選手であれば、高橋大輔じゃなくてもある程度形になり、ファンもジャッジも高い評価を下せるようなプログラムになったのではないかと思うのだ。
だが昨季のデイヴィッド・ウィルソンの手になるSPの「In The Garden Of Souls」と、カメレンゴ作のフリー「Blues For Klook」は高橋大輔にしか滑れない、表現できないプログラムだったと思うのだ。
技術的にはこれらのプログラムを滑りきることが可能な選手はたくさんいるだろうが、あの世界、SPのピンと張ったような静寂と緊張感、フリーの気だるさと秘めた情熱が入り混じったような粋な世界を、彼が滑ったレベルまで表現しきることが出来るスケーターはプロを含めてもいないのではないかと思う。

そして、彼にそのようなプログラムを作れるのは、今現在私の知る限りではカメレンゴさん(と神がかった時のウィルソン)のような気がしている。
モロゾフは高橋と袂を分かつ前は蜜月関係にあり、彼は高橋選手の能力と自信と大いに引き出した。今の高橋大輔モロゾフの存在がなければありえなかったと思う。
だがあれからかなりの時が経ち、モロゾフとの別離と怪我からの復活は彼を大きく成長させた。高橋大輔モロゾフの弟子だった頃の彼とは演技の質も精神面も変化し、脱皮したかのような別次元のスケーターとなり、はるかに高いレベルに行ってしまった。
翻ってモロゾフはたくさんの教え子を抱えてバリバリ仕事をしていたが、最近はかつてほどの勢いがない。作るプログラムも、以前はモロゾフがプログラムの流行、流れの最先端を走り、むしろモロゾフが流れを引っ張っていた感すらあったが、今はその流れから少しずつ取り残されてきているように思えてしまう事が増えた。
モロゾフと高橋の関係にしても、かつて二人は絶対的な師弟という上下の立ち位置があったが、今は高橋はスケーターとして、また表現者としてモロゾフの能力を超えた高みに行ってしまった感がある。モロゾフが高橋に教えられることはまだあるのだろうか、と考えてしまうことがある。
五輪開催地がロシアということで、ロシア系のコーチを持っておく重要性は確かにあるだろうが、あまり彼には手出しさせない方がいいように感じる。

 同感です。