60年という歳月
先日も近くで不発弾が見つかっていました。
60年経ってもそういうのがあるんだなぁ、って思いました。
不発弾はなくなってしまうほうがいいけど、
語り継がれるべき歴史がなくなってしまうのは良くないですよね。
”中学や高校の修学旅行は、広島・長崎・知覧、選択必須”
・・・とかいうと日○組が怒らはるんだろうか?
ナショナリズムを刷り込むというのではなく、
自分達と歳も変わらない若者達が、
つい60年前はどんな環境に置かれていたのか。
戦争とは、平和とは、国家とは、個人とは、教育とは、いのちとは・・・
そういうことを、感受性豊かなときに、
ひとりひとりが考えるのは、貴重で必要な体験だと思うのですが。
親や祖父母からの伝承もなく、
現代史もすっとばされている現状では、
アジアとの関係についてどう考えるか?
核についてどう考えるか? と問われても
答えを持ちようがないと思います。
他の(アジア国々の)学生達は、
それぞれの歴史観に基づいた戦争教育を受けているわけですし。
今の政治の問題もそうだけど、
史実、事実を調べて、自分なりの考えを持つということを(たまには)しないと、
極々狭い自分の周りのことにしか興味のない大人ばかりになってしまう。
そうなると、結局独裁的な為政者にとっては好都合なのでしょうけど。
ディズニーランドやスキー旅行なんて、
わざわざ学校から行かなくても良いと思いませんか?*1